中国人作家リウ・ツーシンによるSF超大作「三体」は世界中から称賛を浴びている。2019年に刊行された小説はあのマークザッカーバーグや新海誠監督その他諸々の著名人が称賛を述べている。
刊行から5年が経った今、現代小説の素人である筆者がAudibleの力を借りて17時間に及ぶ読書を完了したので、絶賛のレビューをしたいと思う。
科学は完璧なものではない。科学の行き着く先は兵器であると人々は信じ込んでいた。そんな冒頭から始まるこの小説は中国の文化大革命を舞台としている。歴史は全然知らないが誤った思想が蔓延っていた時代だと認識している。
三体の世界との最初の出会いはVスーツである。現実で言えばVRのようなものだと思う。そのゲームの世界が詳細で実際にゲームを体験しているような錯覚に陥る。特に、太陽の周期と飛星、人々の脱水と呼ばれる現象。ゲームの世界観がしっかりとしていて天体物理学を背景に紡がれる物語に壮大さがある。
そこで終わっても1つの小説が出来上がってしまいそうだが、物語は現実の景色に数字が見えることや宇宙背景放射がきらめくのような科学では説明できない現象が起こる。
実はこれは実在する三体世界の仕業であったのだ。三体世界が存在すると知ったキャラクターたちはどうするのか?続編が気になる締めくくり方であった。
・「三体」から学んだこと
科学は法則を目掛けているだけなのだが、それが正しいか間違っているかはわからない。より高度な文明がそれを利用でき、正しい方向にも間違った方向にも導くことができる。しかし、弱者は淘汰されるのではなく、生き延びることができると教えてくれた。高度な文明を生きるのかそれともどう生き延びるかを考えるのかどちらが賢い選択か一考する機会であった。
まるでテクノロジーを追い求めるのかそれともそれ以外で働くのかの2択に思えた。筆者は後者である。筆者はどう生き延びるのかを選択した言わば弱者である。科学とはおさらばしたと言ってもいい。組織のために必要な知識だけをかいつまんで自分に適したことを選んできた。
なぜなら、筆者も科学は正しいとも思わないし、それよりも文学の方がはるかに実益があり、奥が深く生涯学習になると信じているからだ。いや、むしろ文学がないと生活が成り立たないと言った方が正確かもしれない。
かと言って情弱ではなく、テクノロジーの恩恵を受けて豊かな生活を送っている。要はテクノロジーとの間合いの取り方が問題なのだと結論づけたい。
間合いを理想にしていれば人間関係もテクノロジーとの付き合いもうまくやっていけるはずだ!
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