「岸辺露伴は動かない 懺悔室」全編ヴェネツィアロケ幸せが襲いかかる!

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漫画家荒木飛呂彦のジョジョの奇妙な冒険のスピンオフ作品「岸辺露伴は動かない」の懺悔室編が原作となっている。本作は全編イタリアのヴェネツィアでロケが行われた。

・大まかなストーリー

岸辺露伴は大学図書館の交流会に呼ばれてヴェネツィアを訪れていた。そこで、とある教会の懺悔室で1人の男の25年前の懺悔を聞くことになる。

その男はイタリアを訪れて日々生きていくのに必死になって安い賃金で土木関連の仕事をしていた。そんなある時、1人の日本人のホームレスが現れ、飯をくれないかと訊ねてきた。そこで、仕事をしたら飯をやると無理強いし、その男性は病気で体も弱く、重い荷物を運ばせた結果、階段から転落死してしまう。それを見た男は亡くなったホームレスがお前の幸せの絶頂に絶望を味わわせてやるといった幻覚が見え、信じ込んでしまう。

それからというものおかしいくらい幸せなことが訪れ、モデルと結婚し子供ができる。しかし、娘だけには本当に幸せだと思った瞬間、あのホームレスの亡霊が現れる。そこで呪いのように現れて亡くなってしまう。しかし、今懺悔している本人が生きているのはなぜか?果たして、男が犯した罪とはなんなのか?ストーリーがストーリーを呼ぶ展開に目が離せない!

・感想

きれいな女性もイタリアにいればイタリア人に見える。そんなことを玉城ティナが登場した時に思ったほど美人だった。

海外旅行気分で見れるのがこの映画のいいところだ。

岸辺露伴が終わりかけのセリフで、呪いも幸運もそれを求める人を尊敬する。そんな露伴のセリフは露伴の人柄が現れていた。この部分を考察したいと思う。

幸運は呪いの裏返しなのだろうか。呪いとは自分が犯してしまった罪に対する人からの逆恨みのことを言う。つまり、怨念である。よって、怨念の裏返しは信念に値するのでそれは幸運とはまた別のものだと言える。呪いとは人から絶望を味わってほしいとせがまれる状態である。絶望には親しい間柄の人を亡くすことでもあれば、生きながら絶望を味わう苦しみもある。罪の意識からの幻覚による症状が現れることだと映画を観て推測できた。

一方、幸運とは誰しもが追い求めるものでその根本的原動力は今の不幸せを感じているからだと思う。そうした意見の反論として今の幸せを維持したいから幸運を求めていると成功者たちは言うだろう。しかし、筆者は少なからず今の不幸せも感じている。自分の能力を最大限に生かせる仕事にありつけていないことなどなど挙げればキリがない。そうしたことを打開するには改心していくことを心に留めたい。

本作で出てくる仮面にはペルソナという意味合いもある。仮面をかぶって、つまり何か肩書きを利用して付き合っていき、改心していく。そんな一種の与えられた使命によって人は生きているんだと俯瞰できる作品でもあった。

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